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日本の民家について

ヤマヒロは人の住居(民家)を作っている会社です。では日本の民家はどんな経緯で生まれたのか?これをもう一度見直してみようと思い調べてたんですが、やっぱり歴史が長い国なので一口では言い表せないみたいです。

そこで、すごく大胆に、また簡単に荒っぽく、ピンポイントで抜き出してまとめてみました。それが下の表です。(※間違っていたらごめんなさい)

1万2000年も続いた縄文時代、日本列島では竪穴式住居が人々の家でした。これは地面に穴を掘ってそこに柱を立て、屋根を草葺で作ったもの。これが現代にも残る藁屋根民家の原型ですね。

一方、縄文後期から弥生にかけて、族長たちが住んだ“高床式”が作られます。これが時代を経て、祖霊や自然への信仰として発達し“神社建築”になります。これは礎石の上に柱を立て、木造軸組の大元になりました。そうしてその作りは、貴人住宅に大きく影響し、平安時代にはさらに豪華な“寝殿造り”へと発展を見せます。

この頃、人工密集地の都市部の庶民は、“竪穴式”から分岐した、地面に柱を埋めた“掘立て柱の住居”に住んでいました。

貴族から武士に時代の主役が変わった中世には、寺院建築の影響を受けて、“寝殿造り”から“書院造り”が生まれます。安土桃山にはここにお茶の文化が取り入れられ、“数寄屋”が生まれ、やがて“武家屋敷”も多く作られていきました。

260年の太平の世の中、江戸が始まると、町人文化が花開きます。そうして、それまで生まれた建築様式たちを取り入れて、大小様々な“町屋”が作られました。

明治維新では西洋文化がどっと押し寄せて“和洋併設の住宅”が増えてきます。そうして昭和の戦争をまたぎ、令和に至る近現代、貧富の差が小さくなったことも相まって、貴人の住宅と民家がシンクロしたような現代の住宅になるのです。

こうやって見てみると、やはり“竪穴式住居”と“高床式“が現代まで発展し続けた民家のベースなんですね。

日本人は古代の昔から他国の文化を取り入れ、オリジナルのものを大切にしながら、少しずつ発展させてきたのです。

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