大阪日日新聞に、桂文珍さんの記事がありました。その内容が面白かったので紹介します。
上方落語家の桂文珍(74)が毎年8月8日恒例となっている大阪・なんばグランド花月(大阪市中央区)での「吉例88第41回桂文珍独演会」の開催会見を行い、今話題となっている対話型人工知能(AI)「チャットGPT」に挑戦状をたたき付けた。
文珍は新作落語「携帯供養」を作る際に、使用の是非を巡り論争が続く「チャットGPT」へ試しに制作依頼をかけたことを明かした。まず「面白くなかった」と総括。理由として、文章制作プログラム上で怒りや嘲笑、性的表現が出てこないようフィルターが掛けられていることを挙げ、「フィルター枠からはみ出しているのがわれわれ落語家の生きる道。“落語はAIに負けない”ということが分かりまして、とても喜んでおります」と胸を張った。
文珍さんは、リアルな講座にこだわる落語家さんなんだとか。テレビ番組の司会の方が何倍も収入が良くなるけども、やはり、同じ空間で、お客さんの息遣いのわかる中で、落語をやり続けたいそう。デジタルでは伝わらない何かがあるのでしょうね。
職場においてもそうです。“働き方改革”を迫られる中、“無駄を省いて効率化”や“DX化”を求められる世の中ですが、リモート会議も便利で集まりやすいのがいいけども、面と向かって顔を合わせるところに、お互いの熱量や勘所がわかり、建設的な場の空気感で、本来の議論が生まれる。1+1=2ではなく、3にも4にもなるアイデアが生まれるのです。
建築でもそう。一見、無駄に見えるものが、実は暮らしにゆとりを作ってくれます。
●値段のことだけ言えば、軒の出なんて要りません。もちろん、外壁に、雨を直接当てないことで、耐久性を向上させる意味合いや、直射日光を防ぐ意味もあるのですが、窓の鴨居にかかるくらいに張り出した軒は、影を作ってくれて、暮らしに休息の時間を与えます。
●庭の植栽なんて、落ち葉や草引き、水遣りなどの作業が大変なばかりだから、一切いらない。と言われることもありますが、緑の庭を通り抜け、窓の内障子に当たる木漏れ日は、刻々と変わる絵画のように、安らぎと躍動感を与えてくれます。
●窓ガラスと網戸だけでいいよと言われても、その外に虫除け網付きの格子の建具があると、爽やかな風と柔らかい光を呼び込んでくれるのです。
●お風呂で重要なのは、大きな窓と、その外にある目隠し塀で隠された小さな庭。風呂の照明は消し、庭の照明の緑の光線の薄暗がりの中でゆっくりと入る湯船、そして壁と天井の檜板の匂いに、1日の疲れが思いっきり癒やされる。
文珍さんの言うように、建築も同じ。フィルター枠からはみ出している、一見無駄なもの、遊びの部分こそが面白い。暮らしには、効率の良さや便利さも必要ですが、あえて、そうでないものを作ると、思わぬゆとりが得られるもの。人間が暮らしていくには、豊さもいりますが、実は、ゆとりが重要。ゆとりとは、物事に余裕があって窮屈でないこと。あくせくしないこと。
これからの世の中は、チャットGPTのようなAIが主役の時代になるのかもしれませんが、だからこそ、住宅や娯楽だけは、ゆとりを作り出す仕掛けをして、人間らしい心や暮らしをつくりたい。そう願う今日この頃です。