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ウッドショックと自己満足

ヤマヒロは地場産の木材を自社で加工しておりますので、今の所は関係ありませんが、ウッドショックがまだまだ続いています。コロナによる巣篭もり脱出を望んだアメリカ人の住宅ブーム → それを見込んだ中国系商社の世界的な木材の囲い込み → 日本で輸入外材の高騰 → それにつられて国産材高騰 → さらにそれでも外材・国産材共に手に入りにくい状態。これがウッドショックですね。

日本は先進国ではあり得ないくらいに林産資源の多いにもかかわらず、木材自給率は40%に満たない国。それくらい外国産材しか売れない状態が、ごく最近まで続きました。

決して外国産材が優れているわけでも、国産材が劣っているわけでもありません。単純に家を建てるときに求められる内容の変化と、為替の兼ね合いによる単価の問題です。簡単にいうと、住宅のローコスト化への対応策で、安い外国産の木材を求めた結果ということです。

その結果がどうなっていくのか?かつての我々の業界は、深く将来のことを考えることはしなかったんですね。とにかく目の前の商談を決めたいがために安きに走ったのです。そのため、住宅業界で日本の木材は使われることが極端に減ってしまいました。

その結果、今、日本の山々がどうなっているのか?少し風が吹けば山ズレ。雨が続けば大水。山から流れ出る川の水は栄養価を失い、畑は化学肥料が必要に。沿岸の小魚や貝は減り、回遊魚も来なくなっています。

これ全て、日本の木材が使われることなく、ほったらかしにされ、山が適切な成長をし、養分づくりをしなくなくなったのが原因です。

そうして、治山や治水という面だけでなく、“山で食べていく”ことができなくなり、山間部の人口の過疎化も進んでしまいました。

そもそも日本民俗は縄文の昔から、春は山菜、夏は海の魚介、秋は木の実、冬は山の獣をとって食べる狩猟採取の生活を行なっておりました。そうして、栗や柿、ヒエやアワやコメなどの栽培も並行して始まり、豊かな食文化を作り出しながら栄えてきました。その背景には、木を植え育て、それを燃料や住宅作りに利用し、また循環させるという山の民の文化があったのです。

戦後、電信柱は木材からコンクリートになり、木塀はブロック塀に。丸太足場は鉄製の足場に。そうして家づくりも鉄骨やコンクリート、そして外材に。国産材はほぼ使われることがなくなり、山は打ち捨てられ、山間部が過疎化し、山で育まれた文化が衰退。海の幸も減る有様。

世の中にはいろんな職業がありますね。でも、中には、人のためになっていないのではないか?ノルマのために他人様を陥れているのではないか?と、恐れつつ、業績のために日々神経をすり減らして頑張っている。そんな職業もあるかもしれません。私は社長として、うちの社員にそんな思いをさせることだけはしたくないと強く思っております。

ヤマヒロが地場産の木材にこだわっているのはそのためです。お客さんに喜んでもらえるのは当然ですが、それにプラスして、世の中のため、地元産業のため。山間部の過疎化を防ぐためであり、日本人が日本人らしく、無理せず、自然体で生きていけるためになる。地場産材の家づくりはそんな仕事です。大好きな建築の技術、木工の技術を高めて生かすことが世のため人のためになる。なんて恵まれた贅沢な仕事!と、喜んでおります。

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