
かなり前の話ですが、まだぺいぺいだった頃、当時社長だった私の父親に、『ヤマヒロにはまだ商品と言えるものがない』と言ってえらく怒られたことがありました。『セルロース断熱、OMソーラー、地域材。これだけあるのに何が商品がないや💢』って。
当時まだまだ若手だった私。勉強不足ではあったのですが、直感的に『セルロース断熱やOMソーラーなどは、部材だけど商品じゃない』と思っておりました。なぜなら、OMソーラーだけではヤマヒロを選ぶ理由にならないから。
『これらを部材として家をつくっていくのは間違ってないけど、それをどう表現すれば、注文生産品の新築やリフォームが一つの商品となってくれるのか?そもそも自分が商品によって提供したい価値とは何か?』
これについて、建築家やマーケティングの先生。父親も含め多くの工務店の先輩社長さん達との議論をしました。そして、自分の家やいくつかのモデルハウスを建てて実証実験を繰り返す。
そんな中で、デザインのルール、ディテールのルール、間取りのルールを定めていきます。このルールを決めるというのが良かった。ルールを決めると再現性が高くなります。そうすると注文住宅ですが、ヤマヒロの家には必ずこれがついてくる!といった定番の納まりができてきます。これがヤマヒロらしさになってきました。
あとは、なぜ、これらの定番が必要なのか?なぜ、これが家の中に欲しくなるのか?これらの備わった家がお客様に提供できる隠された価値とは?これを言語化できれば商品としてまとまっていくのではないか?
森林豊かで、さらに砂鉄の採れる播磨。大きな川が数本あり、その間に鉄器の鋤鍬を使って灌漑用水が敷かれ、かなり古い時代から収穫高の高かった地域。そして播磨といえば祭り。1年しっかり働いて、祭りに散財するのもやぶさかではない方が多いですね。
私は、他の地域に比べて播磨地域というのは、非常に“ゆとり”を大切にする地域だと思います。十分に満ち足りている“豊かさ”と違って、物事に余裕があってあくせくしないのが“ゆとり”。例えば、播磨の祭りをやっている人たちは、外部からたくさんのお客様を呼び込むことにはあまり関心がなく、自分達が楽しむために祭りをやっているんだとか。この“ゆとり”は、何もしなくてもあるのではなく、かえって“ゆとり”を作るために行動をしているように感じます。
私たちが作る家。デザインにもディテールにも間取りにも、ルールというかセオリーというか、おすすめの定番のご提案があるのですが、これらはよくよく考えてみると生活上での“ゆとり”を作り出すためのもの。
例えば、
・余裕があってあくせくしない居住空間を作るための収納
・雨が降ってきても窓の外で本が読める大きな屋根のついたデッキ
・靴を脱がずにご近所さんが寄ってくれる土間
・電気を消して庭のライトアップで入るハーフユニットの木のお風呂
・子供達と一緒に料理を楽しめる作業スペースたっぷりのセパレート型造作キッチン
などなど。これらは日々の生活こそが“なんぞごと”と捉えて、その大切な1日1日の中に“ゆとりと文化”を生み出すための仕掛け。
なるほど!若かった時に悩んだ商品によって私が提供したい価値とは?という疑問。答えは“ゆとりとそこから生み出されるその家庭の文化”だったんですね。