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2月は1年の終わりの月だった⁈

設計の築山です。お寒うございます。春の訪れを告げる節分を控えてまだまだ寒い日が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか。

1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」などと申しまして、年度末ということも相まってか毎年この時期の日の過ぎる早さと言ったらないですよね。

特に2月は28日しかなく特に早く過ぎるものです。ところで、2月が28日しかない理由ご存じですか?前から中途半端な28日なんかにせずに他の月に合わせて30日とか31日にすればいいんじゃないかと思っていたのですが、調べてみると原因は古代ローマにあったようです。以下詳しくかかれたサイトがあったのでそちらから転載します。

最初に結論を書きますと、2月だけ28日しかないのも、うるう年に日数が変わるのも、どちらも古代ローマで使われていた暦において、現在の2月にあたる月が1年の終わりの月だったためです。

現在私達が使っている暦は、古代ローマの暦が元になっています。
紀元前8世紀頃のローマで使われていたとされる「ロムルス暦」では、月は10しかなく、農業をしない冬の期間には月日が割り振られていませんでした。いまの3月から12月にあたる月は、ロムルス暦の時代から存在していますが、いまの1月と2月にあたる月は、当時はまだありませんでした。

古代ローマの王、ヌマ・ポンピリウスが制定したとされる「ヌマ暦」では、それまで使われていた10の月にIanuarius(英語のJanuary)とFebruarius(英語のFebruary)を追加しました。当時のFebruariusは現在のような「2番目の月」ではなく、一年の最後の月とされていました。
また、ヌマ暦では、それぞれの月の日数は29日か31日でした。これは、古代ローマでは偶数は不吉とされたことなどからだと考えられています。しかし年末のFebruariusは例外で、28日しかありませんでした。Februariusは祓いや清めの月であるため、不吉な数でも良いとされていたようです。
ヌマ暦では、1年の日数は355日しかありませんでした。そのままでは季節と日付がずれていってしまうため、およそ2年に1度「うるう月」を入れていました。うるう月の調整の際には、年末のFebruariusを23日か24日とし、その翌日から、27日間のうるう月を挿入していました。

しかし、政治的・経済的な混乱や戦争のためか、うるう月が正しく挿入されなかったことにより、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の時代には、暦が季節に比べて2ヶ月以上も進んでしまっていました。カエサルは暦を改革し、平年を365日、4年に一度のうるう年を366日とする「ユリウス暦」を制定し、紀元前45年から使い始めました。ユリウス暦では年の始めはIanuariusと定められ、Februariusは「2番目の月」になりました。
また、ヌマ暦で日数が29日だった月は、ユリウス暦では日数が30日か31日に変更になりました。しかし、Februariusは日数を増やされず、ヌマ暦と同じ28日のままになりました。これは、Februariusには宗教的な意味合いの強い祭礼が多くあったため、混乱を避けるために日数の変更を避けたためと考えられています。こうして、それぞれの月の日数が現在と同じになりました。

ユリウス暦では、4年に一度うるう年を入れて1年の長さを調整します。1年の始まりの月はIanuariusですが、Februariusが「年末」という意識は根強く残っており、カエサルはヌマ暦と同様に、Februariusをうるう年の日数の調整に使うようにしました。このため現在でも、2月の日数を変えることで、うるう年の日数の調整をおこなっているのです。
ただし当時は、祭礼の日付変更を避けるために、2月24日を2回繰り返していました。その後、うるう年には2月28日の後に29日を置くというやり方に変わり、現在に至っています。

注:昔の暦については正確にわかっていない部分もあり、まだどの説が正しいとは言い切れませんが、現在有力だと考えられている説を紹介しています。




なんと、現在の暦は古代ローマによるものだったのですね。

住宅事業部営業設計1課 築山

築山 大祐

築山 大祐

住宅事業部 営業設計一課

資格:2級建築士

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