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家原遺跡 古代編

こんにちは、設計の玉中です。


前回ご紹介した『えばらの森 カブトムシドーム』に続いて、
同じ敷地内の施設『家原遺跡』を取り上げます。


『家原遺跡』は古代(縄文時代~平安時代)と中世(鎌倉時代)の住宅が再現された建物群です。
隣接して移築された江戸時代の住宅も複数ありますので、文明開化が起きる前の日本の住居がほとんど勢揃いしていると言えます。

揖保川水域の上流に位置する三方地域、そのほとんどを見渡せる台地の上に営まれています。
戦国時代には姫路周辺が交通の要所として重要視されていました。
同じように播磨地域、そしてその水源である一宮町周辺は古くから注目されていたようで、
古代から中世に至るまで各時代の住居跡が発見されている、とても貴重な地域だそうです。












これは弊社社長の受売りですが、
『竪穴住居をそのまま持ち上げて基礎を付け足せば現在の平家木造住宅と構造はほとんど同じ。
この≪造り≫こそ日本人に根差したもので、1万年続くロングセラー商品と言える。』
ということなのです。
ちょうど先日の社長コラムにもこの話が出ていましたので、
合わせてお読み頂くと良いかもしれません。下の画像からどうぞ。



ということで、山弘のような在来軸組工法の木造住宅を建てる人にとって、
古い日本の住居を学ぶことは意義深いものだと考えて見学してきました。




まずは最も古い縄文時代の住居です。
長辺6m×短辺5~5.5m程度で、隅を丸めた長方形のような形の竪穴住居です。
部屋の真ん中に石で囲まれた炉があって、その両脇に柱を立てて棟木を支えています。
外周部は2本の柱の上に1本の桁を渡し、そこに周りから垂木をかけた、
茅葺きで入母屋造りの屋根となっています。


続いて弥生時代の竪穴住居です。

入母屋屋根で造りもほとんど縄文時代と同じですが、
発見された集落跡を解析すると、多くの住居が円形になっているそうです。
また、直径5mくらいの小型の住居から直径約9mのものまであるそうです。

稲作が始まったことで縄文時代よりも組織化が進み、集会所のような大きな建物が必要になったり、
リーダーとして権力を持つ者が現れたりしたことの裏付けなのかもしれませんね。


古代の最後は古墳時代の竪穴住居と高床式の建物です。

竪穴住居自体は見た目ではあまり変わりないのですが、
円形が多かった弥生時代と違って四角いものがほとんどだそうです。

屋根は4本柱によって桁と梁を支え、垂木を掛けた入母屋造りです。
棟にあたる頭頂部には桧の皮が被せられています。

床部分が叩いて締め固められていたり、
後期の建物だと住居の真ん中付近に炉や竃が設えられることも多かったようです。



高床式建物は2間四方で8本の柱によって支えられています。
屋根は切妻屋根の板張りとなっており、壁も板張りとなっています。

竪穴住居は屋根が壁を兼用するような造りなのに対して
屋根と壁が別々になっており、現代の形にかなり近づきましたね。


鼠返しも付いていて、食料の貯蔵もしてそうですね。

多くが茅葺きの竪穴住居という中で高床式の建物は非常に目立ち、
倉庫としての用途だけでなく特別な意味のある建物だったとも考えられているようです。


家原遺跡周辺では80棟近い住居跡が発見されているようで、
この遺跡が最も栄えていた時代と言えそうです。


長くなってしまうので今回はここまで。
次回は中世の建物前編です。

家原遺跡公園の情報は下記リンクよりどうぞ。
家原遺跡公園/宍粟市 (shiso.lg.jp)


実施積算課 玉中健太


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\ヤマヒロスタッフの自己紹介/

玉中 健太

玉中 健太

住宅事業部 実施積算課

資格:宅地建物取引士・二級建築士

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