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意味があるモノ

世の中になかなかないモノは価値があり、世の中に行き渡ってしまってありふれているモノは価値がない。

 

 

 

これって当たり前のことなんですけども、気付いている人って少ないんです。特に生活の風景の中にある何気ないものはより気づきにくい。

 

 

 

この写真は数年前にお邪魔した九州の工務店さんの近辺の街角です。どこにでもありそうなゆ溝の写真ですけど、これがあるのとないのとじゃ、この敷地の価値(金額というよりも欲しいか欲しくないか)がべらぼうに違いますよね。

 

それってその人にとって、意味があるモノかどうかということなんです。

 

私の生まれ育った家の前にも農業用水路があったんです。写真のゆ溝よりはだいぶ幅も広く、水の量も多かったですね。夏場はその用水路で取れるシジミや小魚が食卓に並びました。村の各家の洗い物などもこの用水路で。子供たちの水遊びや水泳もここで覚えます。年に一回の用水路の掃除の時は水を堰き止めるんですが、魚がこれでもか!というほど取れますので、我々は大騒ぎで遊んでましたね。6月は蛍が飛び交います。夏の夜は花火、冬の朝は焚き火をここでしました。

 

私の幼い頃の原風景の中にはこの用水路が常にあり、そこに集まる近所の人々がいます。だから、私にとって、水のある風景は非常に意味のあるモノなんです。

 

しかも、道路整備や河川工事、再開発などで、こういった水のある風景ってのがどんどん無くなってきてるんですよね。だからこそ、私のような人間にとっては非常に価値があるんです。

 

戦後〜高度経済成長〜バブル景気〜ITバブル期。あの頃はまだ役に立つモノ、機能的なモノが少なかったんです。だから、車・冷蔵庫・洗濯機・テレビや、パソコン・ガラケーなどが、どんどん複雑に機能を増やしていき、便利さを競いました。そうしてガラパゴス化していったんですよね。

 

機能面や便利さなどの役に立つモノ争いの行き着く先はコスト競争でデフレが加速。そうして外国へ工場が移り、景気も下がる。そういったローコストのモノに溢れた生活に陥った状態なのが今の日本。ないものはない状態なのだけど、人生の中に欲しいものがない。

 

何もなかった時代は、あれが欲しい、これが欲しい。目標が明確でした。あんな生活をしてみたい!それに比べて今の自分の生活は?そのギャップを埋めるために、これを買えるように頑張ろう!ってな感じで。

 

今は一応なんでも揃っていて、高いレベルを望まなければローコストで手に入り、不便はないんだけど、なぜだか虚しい。心の底からこれが欲しい!という明確な目標や課題がない。残念ながら、諸外国、特に欧米に比べ、日本のその状態はひどいと言わざるを得ません。豊かなんだけど、何か満たされる感じはないんです。

 

だからこそ、これからの時代では、“役に立つモノ”よりもその人にとって“意味があるもの”が必要なんだと思うんです。

 

・最新の便利な車も必要だけど、余裕があれば憧れのクラシックカーが欲しい

・役には立たないんだけど、インテリアに100年前の木製水箪笥が欲しい

・エアコンで十分に温熱環境が整うんだけど、どうしても薪ストーブが欲しい

 

こういう要望があるのは、まさにそれ。“役に立つモノ”は必要だけど、必要がなくても余裕があるならば、自分にとって特別な“意味のあるモノ”が欲しい。

 

このニーズに応えなくては、私がモノづくりの会社をしている意味がない!そう自分を戒めております。

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