
これは2011年に私がプランした自宅です。もう14年も経ったんだなと感慨深いのですが、この前後、30代だった私は、自分の家づくり思想を固めていったと思います。
“家は自然体につくる”というのがそれ。
播磨地域で活動しているので、播磨地域のお客様を知るところから始めました。ある日、姫路のお祭に呼んでもらって楽しんでいると、『こんなにすごい祭なら、もっと観光客を呼ぶように意識して宣伝したらええんでないの?』と私が質問したところ、『祭というのは神さんに豊穣を感謝するものだし、自分たちが楽しむもの。観光なんて考えてやったりせえへんわ』と言われました。
よく言いますが、姫路の人は1年間一生懸命働いて、祭で全部散財するのが粋なんだとか。嘘なく、見栄なく、ひとにどう思われようが、他所は他所、人は人、じぶんが楽しいからやっている。なんとも粋な俺流のある人たちだなと感心しました。これはまさに自然体。我々のお客さんはそういう人たちだと改めて知りました。
そうしたら家自体も自然体に作るべきだと思います。
①嘘がないこと
・工務店は地域おこしのリーダーでないといけないこと
・構造=デザイン=ディテール 構造が建築 構造が全て
・ただオシャレなだけじゃダメ、モサかっこいいという価値観を作る
②俺流があること
・毎日続く普段の生活事態が何ぞごとと感じてしまう間取りを考えること
・自然や環境を容易に受け入れられること
これらができてこそ家とそこでの暮らしが自然体になると思っています。
昔は一点豪華主義のシャンデリアがついていたり、なんとも不似合いな客間があったり。お寺さんでもないのに豪華な船底天井になっていたり。
それこそ普段は物置になってしまっている、何ぞ事の時にしか使いようのない田んぼの田の字型になった畳の広間があったり。
と、これってただただ大工の腕を見せたかったから?それとも工務店の差別化策?と感じてしまう不必要に豪華さをだした設え。
そんなものは一切排除して、機能性と余分な肉を削ぎ落としたシンプルさを出していきたかったんです。だから不必要な天井をつけず、構造部材を必要以上に暑苦しくないように構造梁を規則正しく並べてそのまま見せ、枠周りの加工も一番シンプルに見えるように。柱は1間ピッチに並べて、その柱間を壁なら壁、窓なら窓と端から端まで通すことを意識しました。
間取りはいつでも片付いた状態に保ちやすくするために収納計画を行い、風と自然光と目線や景色を調整する窓計画、人と人の距離感を考える家具計画。
これらは今も変わりません。ここから先もこれをさらに突き詰めていきたいと思います。