
『戦後80年と道徳・家族・国家』と言うタイトルで、武蔵野大学教授の貝塚茂樹先生のお話を聞く機会がありました。今回はこのお話。
この貝塚先生、お父上は墨塗り教科書で学んだ昭和9年生まれ世代で、「正義は突然転倒する」、「国家は嘘をつく」、「教師は日和見である」などを口癖に教えられたそうです。社会全体が戦後教育と価値観の強制的変化に大きな衝撃を受け、戦後日本とは何なのか?を探るため、教育研究の道に進まれたとのことでした。公演の趣旨はイデオロギーの話ではなく、戦後教育のお話。学校教育の研究をされる中、結論として“コミュニティー”の中で育つことの重要性を発見されたようです。
日本人は豊かにはなったのに、国家別の幸福度ランキングではそう高い位置にはいません。それはなぜか?貝塚先生の研究では、“幸福度の高い人は利他的で他者と繋がっていく傾向にある”のだそう。にもかかわらず、戦後日本は豊になったものの貧富の格差が広がり、年々コミュニティーが崩壊していく一方だからだそうです。
私が子供の頃は、近所の子供たちと毎日遊び、風呂に入ったり、魚をとったり、食事を共にしたり。田舎だったものですから、S40年代でもまだまだ長屋暮らしが多かったからでしょう。葬式が出たらお寺さんで。もちろん今のような葬儀屋さんもありませんでしたから、ご近所付き合いで助け合って葬儀を執り行ってました。初夏の田んぼの水路の掃除の時は、一旦水をとめるので魚が取りやすくなるのが楽しみで、村中あげての大騒ぎ。夏の夜の公民館での映画上映会も懐かしい。映画の内容は『座頭市』や『兵隊ヤクザ』など、内容自体は大人向けだったので面白くもなかったのですが、夜遅くまでみんなで遊べることにやたらと興奮したように覚えております。村のキャンプ活動や球技大会、剣道の練習、運動会の昼食、お祭り、盆正月と、やたらご近所付き合いで出会う機会が多かったように思います。
もちろん、学校への登下校での上級生と下級生の関係や、村ごとの連帯感、部活動においての人間関係。それら全てに“つながり”があり、他者と繋がるために自分がどう生きるかを学び、利他的な自分をつくっていく。私が子供の頃に体験した、家族や地域、学校や部活や習い事での体験。そうして出来上がるのが日本的な社会だったとのこと。
ここには自然に滅私奉公を学ぶ地盤があった。今の教育はその逆で滅公奉私しか学べない。つまり限りなく“個”に近づいている。その中で生まれてくるのはイジメや不登校など。
『みんなのために』よりも『私のために』が優先される現代では、戸建て住宅よりもマンションが増えて地域のつながりが薄くなり、離婚率が増え、不登校がやたらに多い地域社会です。個の利害の前に社会の利害を考えて動ける“学力の高い人たち”が育ちにくい。と嘆いておられました。
戦後映画のヒット作『ゴジラ』。何度も作られたこのシリーズ。毎度毎度、品川の海から上陸し、桜田門で警視庁を破壊し、国会議事堂を踏み潰し、銀座を破壊しながら海へと帰っていくのですが、なぜか皇居には手を出さない。それはなぜなのか?論壇でこんな議論がなされたとか。
ゴジラは太平洋で戦死した日本兵の魂のメタファであるから。と言う説が出たそうです。かつての守るべき故国日本、戦死した彼らを見て見ぬふりをする今の日本人たちとその街を襲うのだが、死してなお、皇居だけには手を出せない。
自分だけでなく、そして家族だけでなく、地域社会全体の中で生まれ育ち、人間関係を学び、大人になって次の日本のために働く責任を負う。戦前生まれはそれが当たり前だった。貧しいけども、社会を作りそこで生きる学力が高かった。と言うことでしょうか。ゴジラの亡くなられた日本兵メタファ説。そう考えると、日本人らしい説だなぁと思うのです。
そしてこの講演会、締めはこんなお話でした。
戦後、愛国心と聞くとイコール軍国主義と捉えられ、正々堂々とこの意味を教えることができなかった。愛国心とはそもそも“もっとこの国を良くしようとする思いと行動”であり、これを教えることのみが良い社会を作り得る方法。学校教育でこれが出来ないならば、企業が最後の砦となり、教育をしていくほかない。
・・・ええええええ?マジですか⁉︎わたしら経営者、責任重大やないですか。